大判例

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東京簡易裁判所 昭和35年(ハ)1014号 判決

原告 篠原浩

被告 日本電信電話公社

訴訟代理人 村重慶一 外一名

主文

被告は原告に対し金壱万三千二百十八円及び之に対する昭和三十五年九月三日から支払済に至るまで年五分の割合に依る金員を支払え。

原告の其の余の請求を棄却する。

訴訟費用は四分し其の三を原告其の一を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対し金五万三千三百五円及び之に対する昭和三十五年九月三日から支払済に至るまで年六分の割合に依る金員を支払え訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求め其の請求の原因として

一、原告は金融業者である処昭和三五年六月二八日訴外中浜昭に対し金五万円を弁済期同年七月二十七日利息月八分期限後の損害金日歩三十銭の約で貸与したが同訴外人は之が弁済をしない。

二、右訴外中浜は被告公社に勤めていたが昭和三五年八月三日その職を辞し国家公務員等退職手当法に基く退職手当金受給請求権を取得した。

三、そこで原告は被告公社を第三債務者として金銭消費貸借公正証書に基く右貸金債権を以て右訴外中浜の被告会社に対する退職手当金請求権五万三千三百五円(内訳貸金元本五万円昭和三五年七月二八日より同年九月一日までの日歩十銭九厘の割合に依る損害金千九百六十二円執行費用千三百四十三円)について同年九月一日東京地方裁判所昭和三五年(ハ)第二一二四号同年(ヲ)第二六一六号債権差押及転付命令を得同月二日同命令は訴外中浜及び被告公社に送達されたので訴外中浜の被告公社に対する退職手当金五万三千三百五円の請求権は原告に移付された。

四、依つて原告は右退職手当金の支払日である昭和三五年九月二七日被告公社に請求したところ支払を拒絶されたので右金五三三〇五円及び之に対する昭和三五年九月三日から支払済に至るまで年六分の割合に依る損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。

五、国家公務員等退職手当金には傷痍疾病又は整理による退職の場合などは退職金の支給率が高率になつており又懲戒免職、起訴中の退職などの場合などは退職手当金を支給しない定めがあり其の他の条文の趣旨がら言つても右の法律による退職手当金が受給者の勤務に対する功労金であつて法律の規定によつて発生するものである。

一方債権者保護の立場から言つても債務者の退職手当金は債権者の為めの担保に供せられるのが債権法の原則である民事訴訟法第六一八条の差押制限の規定は原則の例外をなすものであるから無暗に類推拡張に許されないものである。

六、判例を通観するに退職手当金については最高裁判所の判例はないが下級審に於て種々な見解が開陳せられているこれは右国家公務員等退職手当法がかつての文官軍人警察官などに対する恩給のほか、条例その他の定めによる退職金をも一括規定した為めと思われるが、大審院当時の判例も一部を除いては退職金債権は差押禁止物件とはなつていない。東京地方裁判所執行部の見解も差押禁止ではない。

又被告公社でも京橋地区電話局土木課に勤務した渡部幸治の退職金に本件亡同様債権差押及転付命令を得た時昭和三五年七月八日京橋電話局より其転付債権額三万九五二円の支給を受けた実状である。

以上によつて本件債権差押及転付命令は有効である旨陳述した。被告代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め其の答弁として、

一、原告主張の事実中、

原告主張の訴外中浜昭が昭和三五年八月三日退職し国家公務員等退職手当法に基く退職手当金受給債権を取得したこと、昭和三五年九月一日右退職手当金債権に対し原告より金五三、三〇五円について債権差押及び転付命令が発付され翌二日被告に送達されたことは之を認めるが其の余の原告主張の事実は不知であり債権差押並に転付命令の効力は争う。

二、被告の主張

訴外中浜昭が被告に対して有する退職手当金債権は五二、八八七五円であるところ、右退職手当金は、民事訴訟法第六一八条一項六号にいう「職工、労務者又は雇人が其労力又は役務の為一に受くる報酬」であるから同条二項によりその四分の一に限り差押えることのできるものであつてこれを看過してなされた債権差押及び転付命令は無効であることは言うまでもないことである。

凡そ退職金とは労働者がある期間特定の使用者に雇われて働いた後に退職の際使用者から過去の労働の対価としてその労働者に支払われるものであつてその本質は賃金の後払に外ならない即ちそれは労働者の雇傭中は現実化こそしていないが雇われていること自体によつて計算上既に発生しているものであり、賃金と同視されるべきものである。労働基準法第十一条は(賃金とは賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」と規定しており労働協約、就業規則、労働契約等によつて予め支給条件の明確な退職金についてはここにいう賃金であると解釈され、運用されているのはこれを示すものである。(昭和二二年九月一三日労働省労働基準局発第一七号参照)国家公務員等退職手当法に基く退職手当金も右のように俸給の後払的性格を有するものであつて民事訴訟法第六一八条第一項五号いう「職務上の収入」ないし同条第六号にいう「報酬」に外ならない。

尤も多くの判決例は退職手当金は恩給法による恩給等とその性格を同じくし、これを受ける権利は、受給者の一身に専属し特に差押禁止の明文はないが、その性格上差押禁止債権であるとしている。(東京高裁三〇年一二月二一日、東高判決時報六巻一二号二九〇頁、甲府地裁昭和三一年三月一九日下民集七巻三号六九九頁、広島高裁松江支部昭和三一年六月二三日高民集九巻六号三九三頁、東京高裁昭和三一年九月一二日高民集九巻八号五一五頁、松山地裁昭和三二年一二月五日下民集八巻一二号二二八七頁)この見解によれば、本件債権差押及び転付命令が無効であることは言うまでもないが、然し被告は国家公務員等退職手当法には差押禁止の規定が存しない点を考慮し寧ろ退職手当金の本質は、俸給等の後払的性格を有するものであつて、俸給と同視さるべきものであり、民事訴訟法第六一八条一項五、六号にいう職務上の収入乃至報酬であると解するのが妥当であると考える。このように解することによつて一方では債権者の立場を保護するとともに、他方に於ては債務者の退職による生活を保障することになり民事訴訟法が特に差押禁止債権を設けた立法趣旨にも適合するものと考えられるからである。依つて原告の本訴請求は民事訴訟法第六一八条の規定に違反した無効の債権差押及び転付命令を前提とするものであるから失当として棄却されるべきことは明らかである旨陳述して

証拠関係〈省略〉

理由

国家公務員等退職手当法に基く退職手当金の性質について当事者間に争があるので先づ此の点を判断する。

社会観念上退職金は退職者の退職後の生活安固を目的として使用者に於て退職者の在職中の労務に対する感謝の意を以て予め支給すべきものとして定められてあるので支給さるる賞与金と言うべきものである而して労働基準法第十一条に「この法律で賃金とは賃金、給料、手当、賞与、その他名称の如何を問わず労働の対価として使用者が労務者に支払うすべてのもの」と規定しており実際の取扱としても予め支給条件の明確な退職金についてはここに言う賃金として運用されているのが実情である。国家公務員等退職手当法に基く退職手当金は労働基準法の所謂賃金に該当し其の性格は勿論労務に対する対価(報酬)であると観るべきである。之に国家が全面的に差押禁止を心要とするときは恩給法に見らるる如く恩給の差押を禁止する規定を設けているのに国家公務員等退職手当法には退職手当金の差押禁止の規定が設けられていない点及び後記乙第一号証に依り認められる訴外中浜昭が被告会社の職員である点を綜合考察すれば被告公社の職員は公務員として民事訴訟法第六一八条第一項第五号の「官吏」の中に含まれるものと解すべきであるから本件国家公務員等退職手当法に基く退職手当金は右民事訴訟法の右法条に言う「職務上の収入」であると認める。斯く解することに依つて退職者の生活の安定を保護すると共に債権者に債権の弁済の満足を与え得ることになり退職者に退職手当金の支給さるる趣旨にも適合するのである。

次に本件債権差押及び転付命令の発効の有無について判断する原告主張の事実中原告主張の職員の訴外中浜昭が昭和三五年八月三日退職し国家公務員等退職手当法に基く退職手当金受給債権を取得したこと、昭和三五年九月一日右退職手当金債権に対し原告より金五三、三〇五円について債権差押及び転付命令が発付され翌二日被告に送達されたことは当事者間に争がない。右債権差押及び転付命令が訴外中浜昭に同年九月二日に送達されたことは被告に於て明に争う意思がないので之を自白したものと看做す。本件債権差押及び転付命令の請求金額が金五万三千三百五円であることは当事者間に争がないが証人小河原健の証言並に同証言に依う真正に成立したと認める乙第一号証に依れば被告の職員である訴外中浜昭の被告から支給される退職手当金は金五万二千八百七十五円で右命令送達当時は全額存していたが其の後三万九千六百五十七円を支払つたので現在は退職手当金の四分の一に当る金一万三千二百十八円残存するにすぎない。而して債権差押及び転付命令の対象となつた債権の額が執行債権の額に満たないときは其の命令の対象となつた債権の存する限度で差押及び転付命令は効力を生ずるとしなければならない。そうとすれば本件差押及び転付命令は民事訴訟法第六一八条第二項に従つて訴外中浜昭の退職手当金の四分の一の額について効力を生じたものとなる。該四分の一の金額が金一万三千二百十八円で被告が未だ訴外中浜に支払つていないので該金額は移付されているので被告は該金額を原告に支払しなければならない、本件転付命令による債権の移付は法律の規定によるもので当事者間の商行為に基くものでないからその遅滞損害金につき商事法定利率の適用はない依つて原告の本訴請求は金一万三千二百十八円及び之に対する昭和三十五年九月三日から支払済に至るまで年五分の割合に依る損害金の支払を求める限度に於て之を認容し其の余の部分は之を棄却するものとし訴訟費用について民事訴訟法第九十二条仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 藤本久一)

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